鶴は飛び立った〜見えないものを考え続けるわたしたち
昨日、近所の桜並木の一本に、花が咲いているのを見た。
春の訪れとともに、気持ちは軽やかになるはずなのに、
今の世界に広がるコロナウイルスの困難は、多くの人を不安にして、
また苦しめている。
それでも、花は咲く。春は来る。
ただ、その世界から、確かに、新たな戦いが起きている。
その状況は、たくさんの問いをわたしたちに抱かせている。
そして、答えは見えない。
これまでの時代とは明らかに違う状況に対して、
わたしはある場面を想像した。
ある平原にずっといた鶴が飛び立つ。
その平原には何もいなくなるが、鶴がいた事実は覚えていて、
でもその鶴がなぜ飛び立ったかわからず、
また戻ってくるか誰にもわからない、そんな光景を。
何もない平原でわたしは考える。
変化したのは鶴なのか、平原なのか。
それとも、わたしなのか。
あるいは、そのすべてなのか。
今までは、答えを得て安心することで終わっていた。
けれど、今は、
問いかけて考え続けることに価値がある時代になったのではないか。
探し求める、探求する、
考える。
その過程自体が大切な時間で、
人生ってその連続なのではないかと、
わたしは10代の頃から何となく思っていた。
どこかに答えはある。その前提さえも、
本当は違うのかもしれない。
そんな気がする。
多くの人が平和を願い、無事を祈り、
幸福を求めて生きる。
それが実現する日を夢見る一方、
その方法は試行錯誤で、でも、
その歩みが世界を動かしてきた事実がある。
以前も書いたが、今確かで間違いない正解を
誰も答えられない世界で、
もっと言うと、正解が不確定になった世界で、
わたしたちは考え続けていくしかないように
働きかけられている気がする。
飛び立った鶴だって、次の目的地はわからないかもしれないし、
本当はただ飛び続けたいのかもしれない。
人は考え続けないと、
次の正解にたどり着けない。
そんな今なのではないか。
日本にいる中で、
いいことも悪いこともたくさん見える。
わたしにできることは限られているけど、
こう言う形で現時点の心境を書いた。
あなたの中の平原には、何がいますか?
春の訪れとともに、気持ちは軽やかになるはずなのに、
今の世界に広がるコロナウイルスの困難は、多くの人を不安にして、
また苦しめている。
それでも、花は咲く。春は来る。
ただ、その世界から、確かに、新たな戦いが起きている。
その状況は、たくさんの問いをわたしたちに抱かせている。
そして、答えは見えない。
これまでの時代とは明らかに違う状況に対して、
わたしはある場面を想像した。
ある平原にずっといた鶴が飛び立つ。
その平原には何もいなくなるが、鶴がいた事実は覚えていて、
でもその鶴がなぜ飛び立ったかわからず、
また戻ってくるか誰にもわからない、そんな光景を。
何もない平原でわたしは考える。
変化したのは鶴なのか、平原なのか。
それとも、わたしなのか。
あるいは、そのすべてなのか。
今までは、答えを得て安心することで終わっていた。
けれど、今は、
問いかけて考え続けることに価値がある時代になったのではないか。
探し求める、探求する、
考える。
その過程自体が大切な時間で、
人生ってその連続なのではないかと、
わたしは10代の頃から何となく思っていた。
どこかに答えはある。その前提さえも、
本当は違うのかもしれない。
そんな気がする。
多くの人が平和を願い、無事を祈り、
幸福を求めて生きる。
それが実現する日を夢見る一方、
その方法は試行錯誤で、でも、
その歩みが世界を動かしてきた事実がある。
以前も書いたが、今確かで間違いない正解を
誰も答えられない世界で、
もっと言うと、正解が不確定になった世界で、
わたしたちは考え続けていくしかないように
働きかけられている気がする。
飛び立った鶴だって、次の目的地はわからないかもしれないし、
本当はただ飛び続けたいのかもしれない。
人は考え続けないと、
次の正解にたどり着けない。
そんな今なのではないか。
日本にいる中で、
いいことも悪いこともたくさん見える。
わたしにできることは限られているけど、
こう言う形で現時点の心境を書いた。
あなたの中の平原には、何がいますか?
- 2020.03.18 Wednesday
- エトセトラ
- 09:25
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- by KASE HISAWO